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Back Flow

 
 
彼女は肩を落として泣いていた。何が何だかわからない。朝起きると急に叱咤され、そして彼女は出ていった。何が起こったのだろう。彼女は何に対して涙を流し、何を考えてこの部屋を出ていったのだろうか。僕には全てがわからなかった。もしかすると気づかないうちに彼女を傷つけてしまったのかもしれない。もしかすると何か大きな勘違いをしていて僕のことを信じられなくなったのかもしれない。言葉は人によって攻撃的であったり、安らぎだったりする。僕の言葉が彼女の心を攻撃してしまったのか。僕の言葉が真意とは違うものに変化して伝わってしまったのか。彼女の口からその理由を聞いていたなら解決する方法はすぐに見つかったのだろうが、その理由がない。よって、彼女とのこじれた関係を解決することはできない。

 僕は考えてみた。理由がないのなら理由をつくればいい。様々な事象から理由を考え、その全ての理由を解決していけばきっと彼女の心の内がわかると考えた。まずひとつめの理由。就寝時、横で寝ている彼女の顔面に思いっきりチョップをかました。空手の試合に出ている夢でも見ていたのかもしれないし、単なる寝返りみたいなものかもしれない。とにかく僕は寝ながら彼女にチョップをかました。もちろん彼女はその衝撃に目を覚ます。横を見ると僕が背を向けて寝ている。チョップをしたのが僕なのかを確認するために彼女は僕の肩を自分の方に向けようとした。振り向きざまにバックハンドブローを一発。身体の反動を利用したパンチがまたもや彼女の顔面にヒット。その時僕は夢の中で泥棒を退治していたのかもしれない。もしそうだとすると、バックブローをかましながら「出ていけ」といった言葉を浴びせた可能性もある。彼女はあまりの激痛とショックで寝室を飛び出し、隣の部屋で泣き続けた。「私が何をしたっていうの?何に不満があるっていうの?どうして殴られなきゃいけないの?出ていけなんてひどい」と涙を流し、朝起きてきた僕を見るなり叱咤し、部屋を飛び出した。さあ、どうする?

 「なかなか面白い話だろう?」と自慢げに話すと理恵子は「うん、才能あるよ」と笑いながら僕を賞賛してくれた。小説家を目指す僕は、理恵子が部屋に遊びに来るたび、書きかけの小説を読んでもらっていた。理恵子は必ず「面白い」「すごいね」「絶対売れるよ」といった言葉をかけてくれる。なかなかできた彼女だ。僕は否定的な意見を言われると苛々し、「どうせ俺には才能ねえよ」とふて腐れてしまう。彼女はそんな僕の性格を把握しているのか、絶対に否定的なことは口にしない。とりあえず褒める。が、意見は言う。しかも細かく。だから僕にとってはとても都合がいい。そんな理由だからというわけではないが、僕は理恵子と結婚してもいいと思っていた。

 明日は理恵子とつき合ってから3年目の記念日だ。僕はこっそり指輪を購入し、プロポーズをしようと決めていた。理恵子はそんなことには全く気づいていない。今すぐにでも渡したい気持ちだったが我慢した。「どうしたの?」僕のソワソワした気持ちに気づいたのか理恵子が不審そうにする。「明日、どこに行こうか?」興奮を抑えて言った言葉に対して意外な言葉が返ってきた。「いいよ、何処にもいかなくて」照れ隠しでもなく、本当に何処にも行かなくていいといった雰囲気で理恵子は淡々と応えた。少し拍子抜けしたが明日の大イベントを想像するとそんなことどうでもよく不自然に顔がにやけてしまう。

 一大イベントの当日、僕と理恵子はいつものように部屋でだらだらと過ごし、晩飯には僕がアンチョビとキャベツのパスタを作り、理恵子がポテトサラダを作った。ビールを一杯ずつ飲んだが、ご機嫌な僕は先に寝ることにした。次の日、目が覚めると隣に理恵子の姿はなかった。早起きして何か特別な朝飯でも作っているのかと思い、キッチンを覗いてみた。が、理恵子はいない。ガスレンジにはみそ汁の入った鍋。テーブルの上には焼き魚と納豆、昨日の余ったポテトサラダ、そして、一枚の書き置きがあった。

「バイバイ」

 プロポーズするはずの日の朝、僕の彼女は僕の前から消えていった。

 「なんだよ、このシチュエーションは」僕はまさに独り言を呟いた。冗談かもしれない。僕を驚かそうとしているのかもしれない。辺りを見回し、押入やクローゼットの中に隠れているのではないかとあらゆる場所を探してみた。ない。全てがない。理恵子の洋服、CD、本・・・全てがない。いよいよ焦ってきた。そんな馬鹿な。寝ている間、たったの数時間で大量の荷物をまとめ、魚を焼いてみそ汁を作って、一人で出来ることじゃない。頭の中が激しく混乱しているとチャイムが鳴った。「理恵子か?」急いで鍵を開けるとそこには数人の男が立っていた。

「金山悟さんですね」
「・・はい、そうですけど」
「署までご同行願います」
「え?」
「吉田理恵子さん、ご存じですよね」
「理恵子? 理恵子がどうかしたんですか?」
「今朝、遺体で発見されました」
「・・・」
「昨日の夜から今日の朝にかけて何をされていましたか?」
「・・え、ちょっと、よくわからないんですけど、理恵子が?まさか・・だって・・・」
「詳しいお話は署のほうで」
「そんな、理恵子が死んだなんて冗談だろ?だって昨日はずっと一緒に・・」
「一緒にいたんですね」
「・・・」
 疑われているのは明らかだった。何もかもが信じられないまま僕は数人の男達に連れられ、初めてパトカーに乗った。4月初めの暖かい日曜日。桜に染まる千川通りを5分ほど走り僕らは練馬警察署に到着した。

●1 <2006.7.29up>

○2 <2006.8.29up>

○3 <2006.10.6up>

○4 <2007.2.6up>

○5 <2007.2.20up>

○6 <2007.2.26up>

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